正しさとは

いつだったか、娘が10歳くらいのときに、
彼女の部屋を掃除していたら、ノートに彼女が書いた言葉が綴られていた。

当時はまだムクナ豆に出会えてなくて、思うように身体が動かなかった娘は、とても冷静な目で世界をみていた。

自己啓発本のようなその言葉にびっくりし、
そして、娘が考えていたことに触れて、わたしは感動した。

今でも、娘の自分の言葉で表現する力にはしばしば驚かされる。

そして、その言葉が、本当に彼女が感じてることだと感じて、感動する。

わたしは子育てがそんなに得意だと感じてはないし、娘になにかを教えたりすることは得意ではないけど、小さなころから娘が娘らしくあるように。ほんとに、それだけは、大切にしてきた。

今は思春期で、しょっちゅう「キモい」とか言われつつ、それでも、娘の感性は素晴らしいと思っている。

以下娘のノートより。

「しあわせなんてない気がする」
「そうかな」「あるよ」
「だって、つまらない日常生活がつづくばかりじゃない。つまらないことしかないよ」
「それはきみがずっとしあわせだからだよ」
「どういう意味?」
「きみは悲しみや憎しみがなかったから、もうしあわせの中を生きているんだよ。そのため、しあわせを「つまらない」ととらえてしまうんだよ」
「たしかに、悲しみも憎しみもわたしにはない」
「だから、君はしあわせ」
「そんなかんじしないよ」
「信じてみなくてもいいけど、ほんとだよ」
「そっか。信じきれないけど...そうなんだ」
「そうだよ」
「ふうん」

人間はちゃんとした目があるわけではないと
わたしは思う。
なぜならば、話しているうちに考え方が
かわっていくから。
人間には決して正しいということは存在しないとわたしは思う。
なぜならば、みんな、自分の思う正しい生き方を生きているから。
人間の中には、一人一人の正しさがあると思う。
だから、全体的に正しさをまとめたら、人間には正しさなんてないと思う。
ただ人間がやればいいことは、自分の思う正しい方向へ向かうこと。
前にあったことを、気にしません。
ただ今から、どうすればいいのか、考えます。
トラウマがあっても人は変わります。
別れた友だちだって、違う考え方を始めることもあります。
前にあったことは思い出で、決してその中に巻き込まれません。
今考えることは、これからどうしていくかです。
生きる時間は、かぎられています。
だからできるだけのことを覚えて
やりたいことをして
しあわせなじかんをすごし、
かなしいじかんをすごし、
美しい世界を見わたして、
お日様の光をあびて、ここでしあわせに
生きていきましょう。


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