先日友だちと話していて、あいさんは心理学を学んでだいぶ変わってきたね。と言われた。自分では気がつかない、人からみた変化。それを伝えてくれて、嬉しかった。
去年一年かけて心理学を学んだ中で、自分の内面と向き合っていき、なんとなくだけど自分を分析できたときに、色々と気づきがおこり、「わたし」を認められるようになっていった。
例えば自分の多面性。
子どもの頃から内向的で(人と比べるとだいぶ変わってる自分が生きにくくて、意識が外に向かなかった)、あまり人に興味を持てなかったのだけど、30歳を過ぎたころから、人に興味を持つようになっていったこと。
ものすごく人見知りのところもあれば、知らない人と接するのが平気ということもある。
それに対して、なんでだろう?
て漠然と思っていたけど、
状況に合わせて、色んな自分が顔を出すことがある。ということがわかったとき、
全部が「わたし」なんだと認めることができた。
どの自分が自分なのか?決めないでいいんだなと、心が軽くなった。
そして、どんな状況だと、どんな自分に会えるのか、がなんとなくわかってきた。
なりたい自分になるといい。
心理学の先生は言った。
あるがままの自分を受け入れる、も、もちろん大切だけど、自分がどうなりたいか。どう成長していきたいか。も、ひとにとっては大切。なぜなら、人は一生学び成長していく生き物だから。
人生は旅みたいなもんだ、と思う。
そして、波乗りみたいなものだとも。
物事は日々どんどん変化していくし、状況に合わせて、柔軟に生きていく。
変わらない自分はいない。
ある意味、変わらない本質的なところはあるかもしれないけれど、表面に現れてる部分はどんどん変わっていく。
それが好きだとわたしは感じる。
最近思春期の娘と話してるとほんとおもしろいなて感じる。
好き嫌いがはっきりしていて、ものすごくストレートな彼女。
自分を表現できるて、すごいな。生きる力だな、と思う。
先日もあることでケンカして、思わず泣いてしまった。ものすごい嫌悪感を隠さずぶつけてくる様に、もう嫌だーてなって泣いてしまう親なんて、ちょっと情け無いと思った。
でも、わたしがそうやって自分の感情を素直に見せれるように、娘も見せてくれるのは、よい関係なのかなとも思う。
仕事帰り、よく駅で待ち合わせするのだけど、イアフォンで音楽聴きながら、わたしに腕を組んでくる娘。
話しかけると、え??と、耳の遠いおじいちゃんみたいに、聞き返してくるのだけど、
くっつきたいのか、そうじゃないのか、どっちなの、、笑。て思う。
思いながらも、そんな娘を受け入れる。
娘は以前はもっとわたしがどう思うか、を気にするタイプだった。
父がどうかを気にしてるな、と感じることもあった。
それが、最近は、彼女の中の「わたし」が確立されてきて、自由にしている。
それが見ていて気持ちいいなと思う。
周りに気をつかう、ということも社会では大切なこともあるけど、ありのままの自分を出せる場所があるということはしあわせなことだなと感じる。
自分を含めみんなそれぞれが色んな顔を持っているし、それをお互いに受け入れていけたらいいなと思う。
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