わたしの祖母が熱心に宗教を信じてたこともあり、わたしは子どもの頃から宗教アレルギーだった。信じなさい。て言われて、信じられるほど、わたしは純粋でもなかった。
歴史を学んだときも、宗教がらみの紛争が多く、たくさんの人たちが、別々の神を信じてることによって争い死んでしまった歴史に、心が痛んだ。
でも、大学生のときに、出会った男子が
(今でも友だち)、神様ていると思う?て聞いてみたら、いると思うよ。て答えて、そうなんだ!教会にもいくの?て聞いたら、ううん、教会にはいく必要がないんだよ。だって、神はいつも心の中にいるから。て教えてくれて、その感覚ていいな、て思えた。
わたしは高校を出た時くらいに家庭が崩壊したことで、人間不信になり、対人関係がうまくいかなくなり、大学を休学しなければならなかったほど病んでしまったことがある。
その時に、ここでは詳しく書かないけど、宇宙は愛だ、て体験をしてから、少しずつ自分を取り戻していき、休学してた香港の大学に戻った。
休学して学費を無駄にしたことが親に申し訳なかったし、なんとしてでも卒業したかったから、必死で勉強に励んでたときに、ある本に出会った。
その本のことはたまたまインターネットで知り、読んでみたい。と思って、翌日大学帰りに、日系の本屋さんに行って探してみた。二軒まわったけど、その本はなかった。その後、いつもフェリーに乗っていたセントラルという場所で、たまたま見かけた古本屋で、「Flow」という看板をみて、なんとなく中に入ってみた。
床から積み上げられたたくさんの本に圧倒されながらも、探していた本を探した。
英語と、中国語の本の中に、その本はあった。
ボロボロのその本を、よく見つけたなぁと思う。そして、ざっと見た中で日本語の本は、その本だけだった。
その本は、神を信じてる心の美しい一人の男の話だった。
衝撃を受けたわたしは、(本なのに)世の中にはこんなに心の清らかな人がいるんだ。
て思った。今更ながら、単純だなぁと思うけど、その本に出会えてなかったら、わたしは人を再び信じることができてなかったかもしれない。
その男が神を信じてた、という点では影響を受けなかったけれど、慈愛に満ちた彼の行動や言動にわたしの心は救われた。
正直、神がいるかどうかはわたしには分からない。人それぞれ神と定義するものが、違う感じがするし、何とも言えない。
でも、矛盾してるかもしれないけれど、わたしは去年学んだシータヒーリング を通して創造主と繋がることができるようになり、創造のエネルギーは感じることができる。毎日通勤途中や、時間がある時には創造主と繋がる時間を持つようになったし、その状態が無条件なのがとても心地よいと感じる。
祖母が神はいるとよ!と言ってわたしを追いかけてきても、そうだねーて今なら言える気がしている。
人それぞれの神がいることも(そして、無信仰という生き方も、もちろんあるし) 今では理解できるし、みんなが自分の内なる感覚を大切にできて、お互いを尊重できるのなら、そういう世界がいいなぁと感じる。
0コメント