ある気づき

今日で3.11から丸9年。
14時46分に、移動中の渋谷駅で黙祷しました。

多くの人にとってそうであるように、わたしにとってもあの日は節目となり、世界の見え方ががらりと変わってしまいました。

魂は輪廻転生するかもしれないけれど、わたしというこの人生は一度きりだとしたら、わたしはどんな風に毎日を過ごしていったらよいのかな。死ぬ時に後悔しないためには、どんな生き方をしたらよいだろう。そんなことを漠然と考えていました。

離婚も、わたしの中では、311をきっかけに決定的なものになっていきました。
子どもを悲しませてしまったことは変わらないけれど、元夫とわたしは今でもチームファミリーとして共に子育てをしていて、この環境がありがたいなぁ。と、思います。

ところで、昨日友だちの家に行くために傘をさして歩いていたら、とても大きな気づきがありました。

わたしは、子どもの頃からだいぶ変わった子だったけど、それを曲げずに生きてこれたということ。それってすごいことだなぁ、ということにハッとしました。

人に合わせるのが大の苦手で、周りに気づかいが出来ない、気が利かない、空気がよめない、など、色々できないことが多くて、みんなみたいになりたい、、て思っていた時期もあるけれど、結局がんばってもできなかった。できなかったから苦しかったこともあるけど、少しずつ時間をかけて、わたしなりの気遣いや、周りの役に立とうとする気持ちや、周りを大切におもう気持ちを表現できるようになってきたからか、だいぶ楽になってる自分がいます。

あと、今まで気がついてなかったことにびっくりなのですが、両親に...しなさい。と言われたことがないことに気がつきました。

例えば、お金が払えないから、留学をやめて就職しなさい。
とか。

今だって、料理一本で(時々ヒーリングもしてるけれど) 生計をたてるというかなり大変な道を選んでるけれど、やめてもっと稼ぐ道を選んだら?と言われたことがない。
少なくとも母は、いつもエールを送ってくれているし、最近和解した父もたまには元気な声聞かせなさい。とだけ言われていて、
わたしがしてることに対して何も言わない。

いつもいつもそっと見守りながら、応援してくれている家族がわたしにはいる。
それってすごいことだな!と思いました。

考えてみれば、子どものころから
割と自由にさせてもらっていた。
それがあるから、わたしも娘にあれしなさいこれしなさい、と言わず、彼女の気持ちを尊重したい、という思いでいられるのだと気がついたとき、感謝の気持ちが湧きでてきました。

なんてありがたい環境でわたしは育ったんだろう。て。

前にブログで書いたような大変なことも子ども時代にもちろんあったけど、それよりも、わたしが見落としていた、「自由」はいつもわたしと共にあった。

気がつけてよかった。
今日も仕事がんばります。










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野菜料理人の徒然なる日々

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